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2011年10月のブログ記事

文化的農業

青苧復活夢見隊 : 2011年10月28日

大江町の文化祭に合わせて作っていたテーブル敷きのアンギン織りが終わりました。

写真のテーブル中央に敷かれているものがそれです。

全部で15枚、小雨の日も冷たい風の吹きつける日もえっこらえっこら小屋の軒下でがんばりました。

 

明日、このテーブル敷きに器を載せて青苧御膳を80食限定で提供します。

今日は前日ということでお母さん方が会場準備や飾り付けなどに追われていました。

 

農業というと食にばかり目が行きがちですが、本来は衣食住全てのシーンに渡ってこそと思います。

青苧であれば葉っぱは食材に、茎の繊維は糸や着物に、皮をはいだ茎はこの度はテーブル敷きになりました。

そして秋の爽やかな気候の中で、五感を楽しませる文化的な催しになるわけです。

 

私の生活を省みるとビニールやプラスチックのごみはたくさん出ますし、食材も腐らせてしまったりして無駄のない生活とは程遠いのですが、こうして一つの作物がいろいろな役割を担っているのを見るにつけ、農業は大事だなあ、暮らしは文化だなあと思います。

 

テレビや新聞の喧騒がどこでこの穏やかな空間とつながっているのだろうと、秋の夜長、一人しみじみと思索にふけって時を過ごしています。

 

文化祭前日.jpg

世の中

青苧復活夢見隊 : 2011年10月20日

青苧の茎を使ってアンギン織りをしています。

 

サイズは大体30×60cm。

テーブル敷きや花瓶敷き、色紙掛けなどとしての使用を考えています。

茎の長さを揃えて、色や太さ・形を見て選び、一本一本織り込んでいく。

地味と言えば地味極まりない作業です。

ぱっと見れば100円ショップででも売っていそうなものですが、自分がそうして時間と労力と思考を重ねて作ったものをじっと見ていると茎の一本一本が可愛らしく見えます。

同時に自分がそうして作っているのと同じようなものが100円で売っている、買えるということのもの凄さ。

 

我々の周囲を顧みると人の手が加わっていないものは何一つありません。

建物や道路は言うに及ばず、目の前のコップもドアの取っ手も小さな部品の集合体であるこのパソコンも人の手によって作られ、人の手で運ばれ、人たる私が使っている。

考えてみれば、顔も知らない、名前も知らない無数の人の手によって作られたものに囲まれて暮らしています。

 

先日、知人の息子さんが就職を前にして 「単純労働のような仕事には就きたくない」といったそうです。

知人は「世の中のほとんどの仕事は単純作業の連続だ」と教えたそうです。

 

今日、通りすがりにアンギン織りを見に来た農家のおじさんは「こういう落ち着いた仕事をしなきゃいけないと思うけど、なかなかなあ」と言って去って行きました。

 

今私のしている作業がどれほどの価値なのか分かりませんが、世の中を構成している要素の一つであるのは間違いないようです。

 

アンギンテーブル敷き.jpg

 

 

不完全性理論

青苧復活夢見隊 : 2011年10月 7日

地元の麺屋さんと販売元の温泉とで真麻うどんの話し合いを行いました。

原料の青苧を作る僕たちとそれをうどんに練り込む麺屋さんとそれを売る温泉。

初めて話し合いに参加しましたが、それぞれの苦労話を聞くにつけ、何でもそれなりに大変なんだなあと思いました。

自分たちの仕事についてはそういうもんだという気でいるので、大変さがいまいち分かりませんが、よその人のそういった話を聞くと、「ああ、すごいなあ」と思います。

それぞれに適性や強みがあって、向き不向きもあるので、一人で何でもかんでも出来るわけもなく、やっぱり餅は餅屋だなあと思います。

 

うまくしたもんで一人で何でも出来てしまったら他の人との協力は必要ないわけですから、不完全ということは意外と完全に近いのではないかと思いました。

何でも協力、助け合いです。

田舎にいるとそれが良く分かります。

 

 

 

 

 

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