お知らせ

茅葺き屋根

青苧復活夢見隊:2015/03/16

年末から積もり続けた屋根の雪もこのところの陽気ですっかり溶け、久方ぶりに地色が見えてきました。
今年は一月に一度屋根の雪下ろしをしましたが、以降は下から眺めるのみで、どうやらこのままシーズンを終えられそうです。

 

屋根に上るとなかなか気持ちがいいです。
上るまではおっくうなものの、いざ上がってみると見慣れているはずの景色も普段とは違って、広々とした気持ちになります。

 

青苧もかつて屋根材として使われていました。
オガラと呼ばれる茎の部分を茅葺き屋根の一部として利用したのです。
昨年9月には、お隣朝日町の国指定重要文化財である佐竹家住宅で数十年ぶりに「青苧の屋根」が再現され、おととい14日にはその映像報告も交えたシンポジウムが開かれました。

 

朝日町の茅葺き職人である白田吉蔵さんが葺き替えのため古い材料を屋根から下ろしていくと、中間部分から次々とオガラが出てきて、そこで初めて佐竹家でもオガラを利用して屋根を葺いたということが判明したのです。
そこから夢見隊につながり、ちょうど2年分保存してあったオガラを提供させていただくことになりました。

 

青苧は表皮をはいだ茎にも繊維が多く含まれていることからすべりにくく、屋根材としてはうってつけなのだそうです。
ただ、雨に濡れると傷むため、表面ではなく中間に利用してきました。

 

白田さんはカヤであれオガラであれ、一つ一つ測ることなどせず、目見当で切っていきます。
御年80うん歳とのことですが、この道何十年の職人さんの動きは無駄がなく、老齢であっても傍目には楽々と作業を行っているように見えます。
オガラは一本では簡単に折れてしまいますが、三本の矢の例えよろしく、まとめ合わせると屋根材としても十分使用に耐え得る強度となるようです。

 

茅葺き屋根は屋根の上層と下層では傾斜角が違います。
今回提供したオガラは葺くことを想定して取っておいたものではなかったので、やや長さが短かったのですが、そこは職人。
白田さんは傾斜に合うように、短いオガラを長いカヤに上手に組み合わせることできれいな屋根のカーブを描いていきました。
ベテランの技は足りないものさえも使えるものに変えてしまいました。
さしずめ一石二鳥プラスアルファといった感があります。

 

そもそも昔の屋根材はカヤであれススキであれ、身近に手に入って用を為すものなら何でもよかったのだそうですが、村山地域は青苧文化があったためにこれ幸いとばかりに屋根葺きにも使われたのでしょう。
当然青苧に縁のない地域では屋根材に使われることはありませんでした。

 

今回、夢見隊としては運良く茅葺きにつながったわけですが、聞けば茅葺き職人の世界も後継者探しに苦労しており、このまま技術の継承が進まないと茅葺きの文化そのものが存亡の危機に瀕するというところに来ています。
お金、材料があっても職人がいない。
もう既に相当遅いとの指摘もあり、トークセッションにおいても、大半は後継者の話に時間が費やされました。
我こそはと思わん者は来たれ。
そう声を大にしたいところです。

 

ただ、左官屋さんなどでも日本の伝統家屋が減るにしたがって廃業せざるを得ない人が続出していますが、こればかりは時代の流れという大敵のあることでもあり、致し方ないという面も否定出来ません。
それでも時間的には猶予はないに等しいのです。

 

日本の建築物というのは、自然のものを上手に生かすことを前提に考えられてきたように思います。
通常、家屋は南向きに建てられますが、柱一つとっても、元々南向きであった節のある方を、同じように南に向けて立てるのだそうです。
反対の北側は日が当たらないため枝の出も少なく、結果として節がなくきれいに見えて、素人目にはきれいな方を南に向けたくなりますが、そうすると元々日の当たらなかった部分であるため傷むのが早いのだそうです。

 

これは余談でしたが、一度途絶えると再興の難しいこうした技術や文化は、一方では営利にはつながりにくい側面もあるので、個人的には大阪の文楽協会補助金に見られるような制度が必要なのではないかと思います。

 

きゃりーデビュー

青苧復活夢見隊:2015/02/18

今回は全くの番外編です。

 

今月初めから毎日you tubeできゃりーぱみゅぱみゅを見ています。
夜でも2時間、3時間は当たり前、一昨年のおしんのようなレベルになってきました。
シングル曲のプロモーションビデオ(PV)に始まり、ドキュメンタリーからテレビ出演動画まで、とにかくきゃりーと名が付けば端から網羅しています。

 

今までは、普段テレビを観ないもんだから、風変わりな若い子くらいの認識しかなかったんですが、ところがどっこい彼女は天才と言っていいですね。
これまで私が崇めてきたのは、猪木、イチロー、ポール・マッカートニーですが、きゃりーの場合は一見その系譜には入らないけれども、あるジャンルを確立したという点では、やはり共通しているものがあるんです。
猪木もイチローもポール(ビートルズ)も、それまでの常識を覆した、そして個人があるジャンルを飛び越えて一個人がジャンルとなったという意味では同じなんですよね。
きゃりーの場合は女の子というのもありますが、私の今までのスーパースターとはまたちょっと次元の違った存在ですね。
初めての年下の神というのもありますね。

 

正月に帰省してきた弟夫婦の娘が2歳なんですが、その愛らしい言動が彼らが帰った後もしばらく頭から離れなくて、思わず弟に「凛子の発言集が頭の中でリフレインしてる」とメールしたものでしたが、きゃりーのPVを毎日何曲も観続けていると、食事時だろうと、運転中だろうと、人と会ってる時だろうと、とにかくいつでもきゃりーの歌声と映像が頭から離れません。
もはや中毒と言って差し支えない。
それが証拠に観始めてからわずか10日ほどで、これまでのきゃりーのアルバム全4作品を揃えてしまったんですから(全て中古ですが)。
そして、TSUTAYAでは、「きゃりーぱみゅぱみゅのジブリセット」という、まだきゃりーがCDデビューする前のオムニバス作品まで借りて来る始末。
この「ジブリセット」を聴いてると、今のきゃりー的世界であるランド的、ピコピコテクノ的な萌芽が既に見られて興味深いですね。

 

きゃりーの素敵なところは一見ばかばかしいことも嫌味なく、おしゃれに楽しく魅せられること。
そして、きゃりーを観たり思い出すだけでハッピーな気分になることですね。
そこが男のスターと違う点かな。
天は二物を与えずと言いますが、そんなことはない、堂々と何物も与えてます。
かわいい、面白い、元気だ、余裕がある、振る舞いもどことなく品がある、弱点もいっぱいある、etc。
そしてきゃりーも自分の見られ方とか、その場で必要とされる雰囲気などをよく分かってますね。
発言もてらいなく、正直に必要なことをパッと言える。
頭もいいんです。
最近は10代の頃に比べて声がハスキーになってきたのも良いです。

 

直して欲しいのは、箸の使い方と、食べる時匂いを嗅ぐのと、人前で自分のお母さんのことをお母さんということくらいですかね。
まあ、でもそれも含め面白いとは言えますね。

 

今年は4月にまたポールの来日公演があるんですが、それを差し置いてもきゃりーのライブには行きたいと思ってます(山形からは旅費も馬鹿にならないので)。
あまりに突如出現したこの盛り上がりを楽しみつつ、きゃりーの今後を末永く見守って行きたいと思います。

和-なごみ-

青苧復活夢見隊:2015/02/15

東北生活文化大学、mishima&co.の展示会を見に仙台に行ってきました。
去年も仙台は78年ぶりという大雪に見舞われましたが、今年も出発する時は吹雪、仙台に着いてもうっすらと雪のある状態でした。
会場が仙台駅から徒歩10分ということで、バスを降りて歩いていくと仙台も寒い。
同じ週に群馬、茨城にも行きましたが、どこでも風が吹くと寒いです。
空っ風に慣れていないせいか、一面銀世界の山形にいる方が体感的には暖かいかも知れません。

 

さて、今年の展示会のテーマは「和-なごみ-」。

 

原麻、撚糸、手織布、青苧和紙を使って、和風の小物を中心とした商品企画になりました。
かんざしや、ヘアゴム、イヤリング、うちわなど、暑い夏でも涼しげに過ごせそうな小物を揃え、売れ行きもかなり好調なようです。
「to mothers-みちのく-」さんとのコラボ商品である青苧とアフリカの布(チテンゲとカンガ)を使ったブレスレット、ピアス、イヤリング100個はネット販売し、発売直後に完売したそうです。
ちなみに「to mothers-みちのく-」さんは発展途上国の妊産婦と女性の命と健康を守るために活動している「公益財団法人ジョイセフ」を支援している団体で、一昨年にはスタッフの方が畑を訪れてくれたり、青苧を使ったグッズ作りのイベントを行ったりしてくれました。

 

ちょうど最近、お産の本を読みましたが、助産所などでの自然分娩は母子とその家庭にとっても、その後のそれぞれの人生にとっても凄く大事だなと認識しました。

 

出産という人間の尊く自然な行為が、病院の都合やお金によって捻じ曲げられているのは、大変残念なことです。
私も子どもが出来たら、家内には助産所で産んで欲しいです。
青苧は丈夫で切れないことから安産祈願にも使われていたので、妊婦さんたちを応援するものとしてぴったりだし、意味を分かって買ってもらえるのは大変嬉しいですね。

 

それから和といえば、まさしく今、大和言葉に関する本を読んでいます。
日本古来の言葉はやはり音と受ける印象がとても柔らかですね。
日本の本質は柔らかさだと思います。
私も友だちと話す時は「チョー」をよく使います。
でも、大和言葉ではこのうえなくとか、いたく、こよなくなど場面に応じてそれぞれ違う表現で使い分けています。
「チョー」はくだけた場ならどんな場面でも使えて便利ですが、そのせいでどんどん奥ゆかしい言葉を忘れていってしまいますね。

 

外国人が日本語を話す場合でも、あまりに「チョー」を上手に使っているのを聞くと、なんだかやるせないです。
自分も使っているのだから、何とも言えないところですが、元々はこういう風に言うんだよと大和言葉を教えてあげられるといいですね。

 

幕末以降は西欧由来の新しい概念を取り込むために和製漢語が盛んに作られました。
哲学、自由、競争などの言葉はそれまで日本になかった概念をどう表現したらいいか、先人が苦心して生み出したものです。
そのおかげで、日本人は西欧の原著を読まなくても、自国語で新しい概念を学ぶことが出来ました。
今でも、翻訳物の出版数はおそらく世界で一番でしょう。
日本にいながらにして世界の一流の書物に触れることが出来ます。
フィリピンでは科学などの授業は母国語のタガログ語ではうまく表現できないという理由で英語で行っているそうです。
日本人が誰でも日本語で学べるようにしたのと反対ですが、だから我々が外国語が出来ないという指摘はさておき、日本人と日本語の柔軟さはこうしたところでも発揮されています。
逆にお隣の中国では日本に来た留学生によって和製漢語が逆輸入されて、西欧文明を学ぶ礎となりました。
この文脈で行くと、和食や日本文化が広く世界でも受け入れられるようになっている現在は、和製英語さえもその内に海外で定着するようになるかも知れません。

 

日本語を話す外国人と接していると、海外で見る外国人より柔らかいなあと感じます。
それは元々日本向きの人が日本語を学んでいるのかなと思っていた時期もありましたが、最近は日本語を話したり、日本で暮らすことによって柔らかくなっているんだなあと思うようになりました。
自分のことを振り返ってみても、エジプトやトルコで暮らしていた時は、やはりあちらに適した言動をしていたので、言葉や環境で変わるんだというのは実感としてあります。

 

今回の展示会のテーマを「和-なごみ-」とした理由は聞きそびれましたが、和の持つ力は想像以上に強くしなやかに我々に受け継がれているように思います。