お知らせ

犬の限界

青苧復活夢見隊:2014/12/06

兄の結婚式でハワイに行ってきました。
南国から帰るや一転、雪景色であちらのことが夢物語のように思えます。
旅をすると、普段とは違う景色や環境に刺激されて、またあれこれと考えることも出てきます。

 

私は犬が好きで、子供の時分に飼っていた時には「溺愛した」と言っていい程に可愛がったものでしたが、見ていると「犬の限界」を感じることもしばしばありました。
笑わないし、騙したりもしないし、こちらの予想を裏切るようなこともしない。
撫でたり、話しかけりしても、いつもいくつかの決まった反応だから、人間とのやり取りには及びもつきません。
それがまた可愛いとか安心感があるということにもつながるのかも知れませんが、もっと深いやり取りが出来たらさらに楽しいのになあという気持ちは常に持っていました。
無論、優れた嗅覚や、何10メートルも先の物陰から私の帰宅を察知して吠えたりするなどの驚くべき能力も見せてくれますが、所謂「犬の限界」を拭うことは出来ませんでした。

 

ところが、旅行の間中に見聞きしたことを思い出しながらあれこれ考えていると、逆に犬には人間のような心配や不安がないことにも気付きました。
私達は朝目覚めてから床に就くまで、いろんなことを考えては同時に躊躇や懸念、心配をしていますが、犬には先のことを考えて心配するということはないと思います。
今、ここだけに生きているという点では、人の言う悟りを既に得ていると言って差し支えないでしょう。
あるいは、我々が何か痛い目に遭って、その反動としてそういうことはすべきでないと学習するように、経験をして理解をするというプロセスを経ることが大事だとするならば、そうした経験をしない犬は知覚するチャンスを失って憐れむべきと言えるかも知れません。
でも、ぐるぐると回ってある地点にたどり着くのと、初めからそこに到達していたのとでは、その価値は同等か、あるいは後者のほうが賢いとも言えるのではないでしょうか。

 

そうすると、犬がいらぬ心配をしたり、死期を前にじたばたしたりしないのは、遥か人間の先を行っているからと考えても無理がありません。
それを一括りに「余計なことをしない」という視点で捉えてみると、大方、地球の中では、人間だけが「余計なことをする」存在と言えます。
つぶらな犬の瞳の向こうには、人のやることが一体どう映っているのでしょう。

 

犬がネガティブな感情を持たないということと少しリンクしますが、科学の力では、痛みを感じない皮膚や、恐怖心を持たない人間、果ては透明人間になることも可能なのだそうです。
私は脳がイメージ出来るものは何でも現象として出現可能だと思っていますが、それを実際に出現させることの方法論と是非はさておいて、そうしたことが一つ一つ実現していく時代に入っていると言っていいでしょう。

 

「犬の限界」が果たしてどういう意味を持っているのか、それを考えることは人間として余計なことか、愛犬「ピョン」に聞いてみたいものです。

和紙漉き体験のお知らせ

青苧復活夢見隊:2014/10/31

大江町の文化祭行事で、青苧はがきづくり体験があります。
ぜひ、来年の年賀状としていかがでしょうか?

 

【日時】 1月1日(土) 午後1時30分~
【場所】 大江町 中央公民館 図書室前
【参加費】 500円

 

お気軽にご参加ください。

人手不足を考える

青苧復活夢見隊:2014/10/29

今日は11月下旬の寒さだそうです。
急に寒くなってストーブを引っ張り出したいと思うものの、一度引っ張り出すとそれに慣れちゃうという思いから、まだ厚着で我慢しています。

 

さて、今年はなかなか作業に加われませんでした。
農業を始めて三年目、本業が忙しくなってきたり、地域や組織の活動とかち合ったりして、数年前のように頻繁に顔を出せる状況ではなくなってきました。
我が夢見隊も高齢者がメンバーの大半で、一応若い人に分類される私も出られないとなると、当然労働力不足、人手不足という問題に直面します。

 

東京の人がなかなか東京タワーに行かないのと同じように(?)、農村では農業に従事する人が減っています。
すぐ側にあるものに対して、人はその価値に鈍感になるようです。

 

ある調査によると、都会で働く人の三割は幸福感を感じないそうです。
私もかつて都会に住み、今田舎で農業をしていますが、その両方を知っている身からすると、さきほどの調査結果にも「ああ~、そうかもね~」と合点がいきます。
そして農業をしている今は、東京で働いていた頃に比べると、格段に毎日が充実しています。
まず、朝、畑に行くことに対して、「仕事に行かなきゃ」という意識はありません。
当然遊びではないものの、「仕事」というある種の脅迫観念みたいなものは一切ありません。
仕事と仕事でない境も曖昧だし、果たして自分は仕事をしているのかと考えると、そのようでもあるしそうでない気もします。
畢竟、仕事を嫌なものと思っていないのです。
だから、少々休みがなかろうが楽しく畑に通っています。

 

一般的にそういうものを天職と言えるのかもしれませんが、よっぽど農作業が嫌いな人でない限り、農業は楽しい仕事だと思います。
都会に疲れた人なら尚更です。
先立つものがなければ、楽しい仕事も楽しくなくなる可能性もありますが、農業は一人親方ですから工夫次第で色々なことが出来るでしょう。

東京タワーに上らないことで失うものはあまりないでしょうが、農村を顧みないのは個人でも社会全体で見ても失うものはかなり大きい。
逆に、してみると得るものは物凄く大きいと思います。
地元の人がやらないのであれば、都会の人にとってはこれはチャンス。
農家の息子がみんな家を継ぐのであれば、よその人が入り込む余地はなかなかないのですから。

 

翻って夢見隊の人手不足を考えると、これも特効薬というものはないのですが、都会やら田舎やら年寄りやら若者やらという括りではなくて、やっぱり夢見隊が魅力を持つということが大事なんだと思います。
魅力的な人には人が集まる、魅力的な会社には人が集まる、魅力的とは何かと言うと、楽しいとかお金が儲かるとか自分の身になるとか、何かしらのプラスがあるということです。
そうすれば人は集まる。

 

容姿端麗であったり金があれば人は集まるのでしょうが、そうでないとすると一ひねりが必要です。
考えるということは創造。
犬やカラスには出来ない芸当ですので、この際よっくひねってみたいものです。